【2024年7月18日 今日の富士山】

おはようございます。
早朝は雲隠れしていた富士山ですが、次第に姿を現しつつあります♪
久しぶりに朝から日差しが強いですね。
いつの間にか蝉の鳴き声が聞こえ始めました。蝉に怯えながら外を歩かなければならない季節の始まり…。
九州南部の梅雨明けが発表され、東海も梅雨明け間近になりました!今日も30℃を超え暑くなるようです。
蝉の鳴き声が追加されると余計に暑く感じそうですね。
熱中症に気をつけて、木曜日も頑張っていきましょう!
それでは今日は“氷旗”について書いていきます。
かき氷屋や、かき氷を出している飲食店の軒先に掲げているのぼり旗を、氷旗といいます。
氷旗の歴史のはじまりは明治時代です。
かき氷の歴史は古く、平安時代にはすでに特権階級の嗜好食品として存在していました。
清少納言の枕草子では、上流階級の身である清少納言がかき氷(削った氷に当時の甘味料をかけたもの)を貴重なものとして食べている記述があります。
氷が貴重だったのは、江戸時代に入っても変わりませんでした。
初代将軍徳川家康は、夏場になると富士山から氷を運搬させており、加賀藩前田家は将軍への献上のために雪を貯蔵して製氷し、江戸まで運んでいました。
庶民だけでなく特権階級にとっても、氷は贅沢品だったのです。
一般市場に氷が出回るようになったのは、明治2年以降です。
幕末〜明治の洋食文化導入に大きく貢献した中川喜兵衛が函館の天然氷を輸送し、東京での販売に成功したことをきっかけに、氷が一般に出回るようになりました。
しかし、当時販売されていた氷のなかには、伝染病の原因となる不衛生な品質のものもあり、粗悪な氷を販売する業者が問題になりました。
そこで当時の内務省は、明治11年12月4日に氷製造人並販売人取締規則を発令し、氷販売者や氷水店に対して、衛生検査を実施。
検査に合格した業者は、「営業許可証」として氷旗を掲げることを義務としました。
当時の氷旗は、官許という文字の下に氷と表記し、函館など生産地を示したものでした。
これが現在の氷旗の原型です。
その後、氷旗のデザインを統一化する製氷メーカーが現れ、その氷旗を小売業者に配布するようになりました。
結果、同じような氷旗が全国に展開していき、今のような形になったのです。
お店によって多少のバリエーションはありますが、一般的な氷旗のデザインは、波しぶきを背景に、大きな赤い文字で氷と染め抜かれ、波の上を千鳥が飛んでいる(波千鳥)、というものです。
氷製造人並販売人取締規則によって氷の産地を表記した旗を掲げることが義務付けられた当初、官許・氷・函館といったように、氷の文字と産地を表示しただけの旗が大半でした。
氷旗に波しぶきが登場したのは、中川嘉兵衛が販売していた天然氷の旗がきっかけです。
波千鳥は涼しげな印象を与えるだけでなく、夫婦円満や家内安全を表す縁起の良い図柄でもあります。
大きな氷の文字に清涼感のある波千鳥を施したデザインは、明治初期の当時としては、最先端のデザインとして評価されていました。
今は、安心な水が機械で作られるようになったので、許可証としての意味合いは薄れていきましたが、シンボルとして今もデザインが残っているということです。
暑い日が続きますが、平安時代から続くかき氷を食べて夏を乗り越えましょう。

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