【2019年6月14日 今日の富士山】

おはようございます。今日も昨日と同じく肌寒い朝でしたね。
昼間はやはり25℃を超えるぐらいまで気温が上がるそうなので、引き続き気温差に注意しながら服装など選んでくださいね☆
富士山は昨日より雪が溶けていましたよ!
とても可愛らしい姿に朝からニコニコしてしまいます^^
明日からの週末は各地で雨風が強まりそうです。
日曜にかけて「梅雨の嵐」となり、交通機関に影響が出てしまうかもしれません。
たまにはお家で映画鑑賞などしながらまったりと過ごすのも良さそうですね♪
ラストスパートで今日も頑張りましょう!!今週もお疲れ様でした。
さて今日は“冷奴”について書いていきます。
ビールが美味しい季節になりました。そのビールのおつまみの代表的なものといえば、枝豆と冷奴です。
特に冷奴、冷たい豆腐の上にネギやショウガやカツオ節をのせて、醤油をかけていたがく冷奴は、ビールだけではなくご飯も進みます。
どうして「冷奴」という名前がついたのか知っていますか?
もともと「奴」という漢字は、古代では「奴婢」(律令制度の賤民のことで、男子を「奴」と呼び女子を「婢」と呼んでいた)や「奴隷」などに使われていたように、身分の卑しい者を表すものでした。
現代でも、「奴(やつ)がやってきたぞ」みたいに第三者のことを指して言われますが、あまりいい意味で使われているいは言えませんよね。
この「奴」の語源は、奴婢の男子のことを指していた「家つ子」にあります。
それがどうして、豆腐に使われるようになったのでしょう。
豆腐が安くて手に入りやすい庶民の食材だったからでしょうか?
「奴」は、「奴さんどちらへ行く?」といった端唄に合わせて踊る、日本舞踊やお座敷の定番とも言われている演目「奴さん」にも登場する武家の使用人です。
江戸時代では、このような武家に奉公する身分の低い者のことを「奴」と呼んでいました。
奴たちの仕事は、武士が出かけるときの荷物持ちをしたり雑用をこなしたり、「槍持ち奴」として、大名行列の先頭に槍を持って歩いたりすることでした。
「冷奴」は、その奴たちが着ていた半纏に由来しているというのです。
どういうことかというと、奴たちが着ていた半纏には、釘抜紋といって、四角いシンプルな図柄の紋が染められていました。
その四角い図柄から、江戸時代の人たちは、食材を四角に切ることを「奴に切る」と言うようになったそうなのです。
冷奴は、豆腐を四角に切っていただきます。
つまり、豆腐を奴に切っていただくわけです。
このことから、「冷奴」という呼び方が定着したのですね。
冷たい豆腐が「冷奴」、湯豆腐のことは「湯奴」とか「煮奴」と呼ばれるようになったそうです。
上記の説のほかに、もともと「冷ややか豆腐」と言われていたのが、なまって「ひいややっこ」になったという説と、口にすると「ヒヤッ」とするから「ひやっこ」⇒「ひややっこ」となったという説もあるようです。
豆腐は中国で生まれました。
それが日本に入ってきたのは、奈良時代の遣唐使によってです。
当時は、密かに、寺院で精進料理に使われていたようです。
その精進料理が貴族や武家に伝わって、上流階級の人々の口に入るようになりました。
つまり、豆腐はぜいたく品だったわけです。
江戸時代に入ると、将軍の膳には朝も昼もふんだんに使われるようになりました。
その一方で、庶民は食べることを禁じられていて、農民などは作ることもできなかったと言います。
その豆腐が庶民の食卓にのぼるようになったのは、江戸時代中期になってからです。
その頃出された豆腐料理の本「豆腐百珍(とうふひゃくちん)」は、庶民の間で爆発的な人気を博したと言われています。
その本によると、「冷奴」は、「一般的に知られているので料理法は記すべきほどではない」と書かれていることから、冷奴は、江戸時代中期に暮らしていた庶民の間ではすでによく食べられていた料理だったと考えられています。
昔の人たちは、豆腐を口にすることもできなかったとは、びっくりです。
栄養価が高くて体に優しい豆腐、ふんだんに食べることができる今の世の中に感謝ですね。

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