【2018年2月21日 今日の富士山】

おはようございます☆昨日とかわって寒い朝です><
今日は雨が降る予報で朝から雨雲が…。しかし富士山を雲の間から確認することができました☆
寒くても出勤時に富士山が出ていると、よし!頑張ろう!という気持ちで1日がスタートできます♪
この寒さでまた明日富士山の積雪量が増えているかもしれません。 昼間も日差しが少なくより寒さを感じるのでまだまだ冬装備が必須となります!
暖かくなったり寒くなったり日によって変わるので体調を崩しやすい時期でもありますね。
インフルエンザもまだ流行中ですので日々の体調管理に気をつけて今日も1日頑張りましょう^^
さて今日は“陰陽師・安倍晴明”についてかいていきます。
先日、男子フィギュアスケート羽生結弦選手が素晴らしい演技で金メダルを獲得しました!
羽生選手のフリープログラムの演技は平安時代前期の陰陽師・安倍晴明を主題とした「SEIMEI」です。
古文の授業で習ったような気はするけれど、忘れてしまった方も多いのではないでしょうか。
安倍晴明の官職である陰陽師とは、中国の古代思想に基づいた陰陽道によって占術、呪術などを行う、律令制度のれっきとした役人でした。
安倍晴明の生きた平安時代においては、あの世とこの世の境が今よりもかなり曖昧模糊としていました。陽が落ちて暗くなった時刻は「逢魔が時(おうまがとき)」と呼ばれて魔物が跳梁跋扈すると本気で信じられていましたし、平家物語では「物怪(もっけ)」という章段があり、平清盛が高さ約50mにもなる無数の髑髏の妖魔と対峙するというスリリングな場面もあります。
安倍晴明は延喜21(921)年に生まれ、青年期の史料はまるで残っていません。まったく不明なのです。この事から、江戸時代には晴明の存在は人ではなく狐の子であり、動物の言葉も解する化身の者だと信じられました。
彼が初めて文献に登場するのは40歳になった時でした。彼は陰陽寮という易占、天文、時、暦を編纂する部署に配属されており、50歳で天文博士になります。意外にも、天文がメインだったんですね。
その陰陽寮を離れ別の官職に就いた後も、陰陽寮出身として一目置かれていたようで、頼まれれば卜占や呪術を行うというフリースタイルで陰陽師を続けていたようです。 晴明が行った卜占や呪術はわずかながら当時の記録に残っています。
当時は些細な出来事が大事件の予兆と信じられており、宮中に蛇やネズミが侵入するなどの些細な怪異現象にも晴明は呼ばれました。
晴明はどんな些細な要請にも応じて占い、怯える宮中の人々の不安を解消する事に努めました。
中でも一躍彼を有名にしたのは、正歴4(993)年、一条天皇の急病に際して禊祓を行ったところ、天皇が奇跡的に回復したという出来事でした。当時、晴明すでに72歳。
当時にしては長寿も長寿、生きているだけで尊いと崇められた事でしょう。更に年月下り、干ばつに苦しんだ寛弘元(1004)年には五龍祭で雨乞いの祈祷を行い、みごと大雨を降らせたなど、信じられないようなすごい記録をいくつも残し、翌寛弘2(1005)年に85歳で死去しました。
式神を用いて鬼を操ったり、結界を張ったり・・・というイメージとは少し違ったかもしれませんが、 晴明が人智を超えた力で苦しむ人々を救ったのだという事を、 残された記録の数々が確かに証明しています。

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