【2023年4月27日 今日の富士山】
雨上がりの澄んだ空に富士山がよく見えています^^
こんなにくっきりと見えるのは久しぶりでとても綺麗です♪
まだ山頂には雪が残っていますが、少しずつ減ってきているので夏の富士山へ衣替え中のようですね。
山梨側では、7合目~8合目の残雪が鳥のような形に見える「農鳥」の雪形がうっすらと浮かびあがりつつあるようです。
このままのペースで雪解けが進めばGW中には完全に姿を現しそうです。
さて今日からまた暑くなる予報!日焼け止めを念入りに塗っておきました!
GW前に寒暖差で体調を崩さないようお気をつけください。
それでは今日は“ソースカツ丼”について書いていきます。
4月27日はソースカツ丼の日です。長野県駒ヶ根市内の飲食店で結成された「駒ヶ根ソースかつ丼会」によって、同会の結成記念日にちなんで制定されました。
カツ丼は、どんぶりに盛ったご飯の上に、牛や豚などをパン粉につけて油で揚げた「カツ」を乗せた日本の丼料理。全国で最も一般的なものは、とんかつをしょうゆ味の割下で煮込み卵とじにする、いわば「卵とじカツ丼」です。
これに対してソースカツ丼とは、卵や割下を使わず、ウスターソースなどでとんかつを味付けするもの。
では、カツ丼の元祖はどちらだったのか。日本でカツ丼が誕生したのは、明治30年代の山梨県甲府市。老舗蕎麦屋の「奥村本店」で提供されたものが最初とされています。元祖カツ丼は、卵とじでもソースでもなく、揚げたままのとんかつが丼に乗ったものでした。
とんかつ以外の具は、キャベツの他にもポテトサラダやトマトにパセリと、とんかつ定食がそのまま丼になったような独特のスタイル。これは当時の蕎麦店は出前が主流であり、器1つで済む丼物が中心だったことから誕生したとされています。
元祖カツ丼の次に誕生したのは、一般的な卵とじカツ丼ではなく、ソースカツ丼です。
大正2年、前年にドイツへの料理研究留学から帰国した高畠増太郎さんが、ウスターソースを日本人の味覚に普及させるべく創案した「ソースカツ丼」を、東京で開かれた料理発表会で披露したのが最初とされています。
その後、高畠さんは東京早稲田に「ヨーロッパ軒」を開店し、ソーツカツ丼を売り出しました。卵とじカツ丼はそこから8年後の大正10年、同じく東京の早稲田や大阪の道頓堀で提供されはじめたという説が残っています。
今では卵とじカツ丼の方が一般的になっているため、ソーツカツ丼はそのアレンジ料理、ご当地メニューだと思っている方も多いかもしれませんが、実は逆だというのは面白いですね。
なお、大正12年の関東大震災で店舗が崩壊した「ヨーロッパ軒」は、翌年に高畠さんの地元である福井県に移転。現在では計19店舗を構え、ソースカツ丼が福井名物として知られるまでに発展しています。
福井県、長野県駒ヶ根、群馬県桐生市など、日本各地でご当地グルメとして人気のソースカツ丼ですが、それぞれに違いがあります。
福井県のソースカツ丼は、前述のヨーロッパ軒が発祥とされるもの。薄いロース肉1枚とモモ肉2枚のとんかつをウスターソースがベースのタレにつけて、タレをまぶしたご飯に乗せたもの。キャベツは使いません。
長野県の駒ヶ根ソースかつ丼は、昭和3年創業のとんかつ店「喜楽」の初代店主である市瀬正一さんが考案。ソースカツ丼の日も制定した「駒ヶ根ソースかつ丼会」によって規定が定められていて、120グラム以上のロース肉のとんかつを熱々のまま甘辛ソースに潜らせて、水に浸してから水分を切ったキャベツを敷いたご飯の上に乗せたものとされています。
群馬県桐生市のソースカツ丼は、大正15年創業の「志多美屋」が発祥。複数枚のヒレ肉を使うのがスタンダードで、鰻のタレとウスターソースを合わせた特製ソースに潜らせてご飯の上に乗せたもの。キャベツは使いません。
実は卵とじカツ丼より先にあったソースカツ丼。この機会に、食べてみてはいかがでしょうか。
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