【2023年4月19日 今日の富士山】

おはようございます。
昨夜降った雨も上がり、朝からムシムシとしていますね。
雲一つない快晴で、少し霞んだ富士山の姿。
雪の白さが際立っております。
今日は広い範囲で夏日となる予報!早くも熱中症に気をつけなければなりませんね。
30分に1回の水分補給が必要だそうです。
暑かったり寒かったり4月は忙しいですね。
体調に気をつけて、週の半ばも笑顔で頑張っていきましょう^^
それでは今日は“地図の日”について書いていきます。
今日4月19日は「地図の日」です。由来は1800年の4月19日、日本で初めて地図を作った伊能忠敬が測量をするために、北海道(蝦夷地)に向けて出発した日を記念して制定されました。
日本地図を完成させるために最初の一歩を踏み出した日でもあることから「最初の一歩の日」とも呼ばれています。
ただ、実際に地図が完成したのは、伊能忠敬の死後で1821年とされます。
日本地図は昔からありましたが、江戸時代初期まではかなり不正確なものでした。青森並みに小さい北海道、四国が大きく反り返り瀬戸内海が消滅しているなど、目も当てられないほど。その地図は「行基図」と呼ばれ、平安時代から江戸時代の間に何度も改変されています。
当時は飛行機や衛星なんてものはないですから、憶測などで地図が作られていたようです。
日本最古の「行基図」が作成されたのは1305年と言われており、現在は京都の仁和寺に大切に保管されているそうです。
一方、伊能忠敬は1745年に上総国山辺郡小関村の名主「小関五郎左衛門家」に生まれました。1762年には伊能三郎右衛門家の婿養子となり、有名な地主として名を馳せます。
その後、50歳近くになると長男に地主を引き継ぎ、単身江戸へ。江戸へ出た理由は天文・暦学の勉強のためで、忠敬が弟子入りしたのは当時30歳の高橋至時でした。そこで勉強する中で、「地球の大きさが知りたい」「それなら正確な日本地図を作成する必要だ」と思い立つのです。
伊能忠敬は54歳(1800年)になると測量をするために北海道(蝦夷地)へ向かいます。メンバーは息子と弟子2人、召使い2人、測量器具を運ぶ人3人、馬2頭です。
また測量には人の歩幅を活用していました。皆が一定の歩幅(70cm)に歩けるように訓練し、測量時は複数人の歩いた平均値から距離を計測。より正確な計測を目指しました。
1801年には東日本の測量を開始。この時は歩幅で測定せずに、180cmごとに印をつけた縄で距離を測定しました。測定方法は楽になりましたが、東北の海岸線は複雑でかなり難航したようです。
その後、東海から北陸、中国地方と測量を続けました。その期間は1815年にまで及び、伊能忠敬が江戸に戻った時の年齢は70歳でした。そして彼が歩いた距離は約4万kmと言われています。
寿命50年と言われた時代に、55歳から日本地図を作り始めた伊能忠敬。もはや尊敬するしかありません。
現代でも定年を迎えてから大学へ通う人がいますが、いくつになっても勉強をする姿はかっこいいですね。
伊能忠敬は日本の発展のために地図を作ったのではなく、「地球の直径が知りたいから、ついでに日本地図も作る」という動機で測量を始めました。
また測量をするには幕府の許可が必要でしたが、「海外からの敵が来た時に、日本の正確な地図があった方が有利ですよね?」と上手いことを言い、すんなり許可をもらっています。
当時は寿命50歳時代だったため、54歳から測量をするのは無謀な挑戦でした。しかし伊能忠敬は、年齢を感じさせない足腰で17年かけて日本全国を歩いたのです。当時は1日40km歩いており、普通に元気な若者でも悲鳴を上げそうなスケジュールです。まさに超人と言っても過言ではありません。
何かに挑戦する時に「もう歳だから」「もう遅い」という人がいますが、伊能忠敬の話を聞くと年齢で言い訳はできなくなりますね。
何かに挑戦する時は「できない理由」ではなく「できる理由」を考えていきたいものです。

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