【2023年1月26日 今日の富士山】
今朝も冷え込んでますね。起床時間の少し前に暖房がつくように設定してからは、布団から出るのが楽になりました。
それでも昨日より寒い気がします。ホッカイロ2枚貼りでは寒さがしのげず…もう少し着込めば良かった…。
それにしても清々しいほどの冬晴れ!澄みきった青空の下で富士山が鮮明に見えております^^
昨日は-36.1℃と観測史上4番目の低温を記録した富士山。
今日は雲のマフラーをまとっていないのでなんだか寒そうですが、意外にも山頂の気温はそれほど低くありませんでした。
全国的に凍てつく寒さが続きますが、しっかり対策をして乗り切りましょう!
それでは今日は“献血”について書いていきます。
現代の献血体制の前身となった“血液銀行”をご存知でしょうか?
日本で輸血が行われるようになったのは1919年、わずか100年前の出来事でした。
実は1930年に狙撃された浜口雄幸首相や、二・二六事件で襲撃を受けた鈴木貫太郎は、輸血によって一命を取り留めています。特に浜口首相の事件は、献血が人々に知れ渡る大きなきっかけとなりました。
初めの頃の輸血は、血液の提供者から患者の体内に直接血液を送るという方法でした。しかし梅毒の感染事故が起きてしまい、安全面で問題視されるようになります。
そこで1952年に、安全な保存血液の製造など、血液関連の事業を全般的に行う組織が、厚生省が主体となって作られました。それが日本赤十字社の東京血液銀行です。
東京血液銀行は、現在の赤十字血液センターの前身でもあります。またこの頃、民間の血液銀行も設立され、こちらでは血液をお金で買い取る売血が行われていました。
当時の日本は不況真っ只中で、多くの人は、血液を提供しても一銭にもならない赤十字の血液銀行よりも、血液を買い取ってくれる血液銀行の方へ行くようになります。
このため、赤十字社の血液銀行では、血液の安定した供給が難しくなってしまいました。
それでも民間の血液銀行に血液が供給されているのだから大丈夫だろうと思ってしまいますが、こちらにも大きな問題がありました。
民間の血液銀行で売血する人の中には生活困窮者が多くいて、中にはほと月に何度も血を売る人もいました。現在は一度献血すると2~4週間経たないと次の献血はできません。
献血と献血の間は、適切な期間を空けないと、血液提供者の体調に悪影響を及ぼします。また、赤血球が回復しないうちにまた献血をしてしまうことになるので、血液そのものの質が悪くなるのです。
質の悪い血液で輸血をすると、患者も肝炎などの重篤な副作用を引き起こすことがあります。こうした健康面・安全面での問題や、そもそも血を売るという行為の倫理面での問題も問われるようになり、政府は急いで血液事業に関する体制を整えていきました。
こうして開設されたのが赤十字血液センターで、これに伴って民間の血液銀行もどんどん減っていきました。最終的に、1990年には日本では売血は完全になくなります。
今でも、年配の人の中には献血に対してあまりいいイメージを持っていない人もいますが、実はこうした歴史的な経緯があったのです。
日本赤十字社は、その後も保存血液の安全性向上や、血液凝固因子製剤の製造、骨髄バンクとの協力事業を行うなど、精力的な事業展開を行っています。
あれだけ毎日のように全国各地で献血が行われているにも関わらず、なぜそんなに血液が不足してしまうのか不思議に思う方もいるかもしれません。
実は血液といっても献血された後は用途にとって全血や血小板、赤血球、血小板などに分けられていて、その中でも血小板は献血してから数日程度しか保存できないため、持続的に献血を募らなければならないのです。
献血に協力をするとお菓子やタオルなどを貰えたりしますね。また、最近の献血は待合室がとても充実した設備になっておりマッサージをうけられたり漫画を読んだり、色々なサービスが準備されているようです。
献血が怖くない方は近くの献血ルームに足を運んでみてください。
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