【2022年10月4日 今日の富士山】
今朝も爽やかな秋晴れで、富士山もよく見えています♪
昼間はまだまだ暑さが続くので、こまめな水分補給が欠かせません。
明日から天気が崩れて気温も一気に下がるようなので、風邪などひかないようにお気をつけください。
いよいよ長袖の出番かも…?!まだ衣替えが進んでいない方は早めに済ませてくださいね。
私もそろそろ冬布団を用意しておこうかな。
今日の貴重な日差しを有効活用していきましょう☆
それでは今日は“あんみつ”について書いていきます。
あんみつはもともとみつ豆から派生して作られたものです。他にも、みつ豆の親戚にはさまざまなものがあり、「フルーツみつ豆」や、白玉をのせた「白玉みつ豆」、アイスクリームをのせた「クリームみつ豆」などがあります。
そして、みつ豆にあんこ(こしあん)をのせたものが「あんみつ」で、あんこと白玉をのせたものが「白玉あんみつ」なのです。
というわけで、あんみつの歴史をたどるには、まず「みつ豆」の歴史から始める必要があります。
日本で、みつ豆を最初に提供したお店ははっきりしており、現在も浅草で営業している、芋ようかんでも有名な「舟和」です。
ご存じの通り、明治時代は西洋文化を中心としたさまざまなものが海外から取り入れられましたが、舟和はこの時期、大人が喜んで食べられるような甘味を作ろうと試行錯誤していました。
そこで編み出されたのがみつ豆です。モダンな銀の容器に寒天・パイナップル・杏子・みかんや求肥などを載せ、さらに上から蜜をかけて銀のスプーンで食べる。このスタイルは当時とても画期的なものでした。
この頃はミルクホールやビアホールなども流行していたことから、舟和は「みつ豆ホール」という名称の喫茶店をオープン。インテリアにも凝った、高級感のあるお店でみつ豆を提供していました。
これが、みつ豆の起源です。それでは、ここから派生した「あんみつ」はどう生まれたのでしょう?
あんみつの起源もはっきりしています。現在も銀座で営業している甘味処「若松」が提供を始めたのが最初です。
若松は明治27年に創業。もともとは上野で和菓子を売っていた森半次郎という人が、銀座でお汁粉屋をオープンさせたのが始まりでした。
そしてあんみつを開発したのは二代目で、昭和5年、お店自慢の自家製あんを活用できる食べ物はないかということで、みつ豆との組み合わせを思いついたのです。
みつ豆にあんこを乗せる「あんみつ」はこうして誕生し、あっという間に大評判となりました。
さらに、ただ評判になっただけではなく、あんみつという甘味を全国各地で食べられるようになったのも、この若松のおかげなのです。
あんみつは特許申請も可能だったのですが、若松は申請せずにオープンなものとし、どこの店が作ってもOKということにしました。そのおかげで日本各地で誰でも作っていいことになったのです。
あんみつは夏の風物詩というイメージがありましたが、近年では秋限定の栗あんみつや、カボチャあんみつなどが人気なのだそうです。
ぜひ秋にピッタリの和スイーツを食べて秋を堪能してみてください♪
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