【2021年7月13日 今日の富士山】

おはようございます。
今日は午後から雨の予報となっていますが、今朝はスッキリと青空が広がっています!
昨日のように急な雷雨になる可能性もありますので注意が必要みたいです。
相変わらず不安定な天気が続いていますね。
早朝は富士山が見えていたのですが、8時前には雲に隠れてしまいました^^;
梅雨の間の貴重な富士山でした!
2年ぶりに富士山開山されたので、夜は山小屋の明かりが輝いています♪
やっぱり夏の夜のこの灯りが見られるの嬉しい!
県民にとって夏の風物詩でもありますね^^
今日も日中は30度前後まで上がるようです。
暑さ対策、こまめな水分補給を行ってください。
夜も暑さで寝苦しい日々が続いていますね。
本格的な熱帯夜となってきました。
クーラーのタイマーが切れると朝方暑くて目が覚めてしまいます。
眠るために深部体温を下げるには、耳から上を冷やすのが良いそうです。
耳から下を冷やしてしまうと脳の働きが上がってかえって眠れなくなるので、氷枕を使用する際は首や耳を冷やしてしまわないよう気をつけてみてください。
今日も暑さに負けずに頑張っていきましょう!
それでは今日は“里芋”について書いていきます。
今では、サトイモといえばありふれた食材です。
しかし、どうやら記録に残るよりもずっと前の時代から、サトイモは神聖な食材として考えられていたようなのです。
江戸時代の元禄八年に刊行された『本朝食鑑』。
ここには、八月十五日夜の月とサトイモの関係が記されています。
「八月十五夜の月を鑑賞するとき、必ず芋の子(サトイモのこと)、青いさやつきの豆を煮て食べる。九月十三夜の月を賞するに、薄皮をつけた芋の子を衣被と呼んで、生栗を煮て食べる。正月三朝、芋頭を雑煮に入れて、ともにこれを賞する。これらは、上も下も、どこの家々でも、昔からの習慣としている」
どうやら、八月十五日の十五夜も、また十三夜にあたる九月十三日も、そしてお正月も、サトイモを食べることが当たり前の習慣だったようです。
八月十五日について言えば、この日の夜を今も「芋名月」と呼ぶ地方は少なくありません。また「芋神様」と呼んで祝ったり、この日が初めてサトイモを掘る日だということで「芋の子誕生」と呼ぶ地方もあるそうです。
(ちなみに八月十三日の「十三夜」については、栗や枝豆を供える「栗名月」「豆名月」とも呼ばれています)
十五夜と言えば、中秋の名月ですね。この、中秋の名月を鑑賞する習慣は中国では唐の時代から存在し、日本には平安時代の初期に入ってきたとされています。
ただ、そうした中国伝来の習慣とは別に、八月十五日とサトイモとの間には、もともと日本独自の密接な関係があったようです。
サトイモの原産地は、東南アジアの熱帯降雨林だと言われています。太平洋の島々には、古代マレー族の移動によって伝わったそうです。
日本列島に渡来したのは、まだ稲作が始まるよりも前の縄文時代の中期以前。今からおよそ五千年前とみられています。
ちなみにインドネシアやフィリピンなどでは、サトイモを「ウヒ」といい、これが沖縄では「ウム」になり、日本に上陸して「ウモ」となったと言われています。
そしてサトイモの原産地である東南アジアには、今でも、旧暦の八月十五日の満月の夜にタロイモを食べる行事があるそうです。
ただ、サトイモは腐敗が早く、クルミなどの堅果類と違って遺跡から出土した例がありません。よって縄文時代のサトイモ農耕は確認されていないのですが、月へ供物を捧げる習慣が、古代のサトイモ文化のひとつとして渡来したと考えることは十分可能です。
このようにして見ていくと、旧暦の八月十五日は、単なる満月を鑑賞する日ではなく、日本でも「サトイモの収穫祭」の日でもあったと考えられます。
これはもちろん仮説ですが、昔の日本人にとってのサトイモの重要性を補強する事実はたくさんあります。
お月見につきものの「団子」ですが、これも、もともとは小芋(サトイモの親芋に対する小さい芋)をかたどったものだったのです。
江戸時代末期の『東都歳時記』では十五夜について「看月(つきみ)、諸所賑へり。家々団子、造酒(みき)、すすきの花等月に供す。清光くまなきにうかれ、船を浮べて月見をなす輩多し」とあり、「中古迄は麻布六本木芋洗坂に青物屋ありて、八月十五夜の前に市(いち)立て、芋を商ふ事おびただしかりし故、芋あらひ坂とよびけるなり」ともあり、天保以前は団子ではなくイモを使っていたことが分かります。
また、同じく江戸時代末期の『守貞漫稿』では、京都・大阪の十五夜について、団子はサトイモの形に作って醤油煮にし、砂糖を加えたきな粉を衣にして三方に十二個ずつ、閏年には十三個ずつ盛って供える、と説明しています。
いわゆる「お月見団子」は、もともとはイモだったのです。
団子をわざわざ小芋の形にするのは、それだけサトイモが重要な食べ物とみられていた証拠でしょう。
お月見団子にとどまらず、お正月に食べるお雑煮でもサトイモは使われていました。元禄時代に記された『本朝食鑑』では、雑煮には必ずといってよいほど、餅といっしょに里イモが入るという記述があります。
また、お正月に餅を食べずに、サトイモだけで新年を迎える地域は今もあるようです。
お正月に食べる食べ物は、神様の神聖な力を得るための重要な「神饌」でもあります。サトイモもまた、他の縁起物のお正月料理と同様に神聖な食物だったのです。
さてそれでは、サトイモはどうしてここまで神聖視されたのでしょう。
もちろん、古代の人々にとっては育てやすい、貴重な食料だったというシンプルな理由もあると思います。
しかし、サトイモの栄養価も見逃せません。
栄養学的に見て、イモ類の中でも粘り気のあるもの……例えばサトイモ、自然薯、タロイモやヤムイモなどは健康維持に絶大な効果があるとされています。
これらのイモ類には、テストステロンというホルモンが含まれています。テストステロンは男性ホルモンの一種ですが、男性に限らず男女ともに若々しさを維持する効果があると言われています。
アンチ・エイジング医学によると、このホルモンの数値が低下した場合、意欲や記憶力、骨量や筋肉量に悪影響をおよぼして体調不良に陥るとされています。また反対に数値が増えれば、動脈硬化や心筋梗塞、糖尿病といった生活習慣病の改善も期待できるそうです。
テストステロンは、適切な睡眠や生活習慣の改善で増やすことが可能です。しかし、最も手軽に増やす方法は、なんといっても上記のようなイモ類を積極的に摂取することです。
今ではスーパーでも簡単にいくらでも手に入るサトイモ。しかしその歴史を紐解くと、何千年も前から大切に育てられ、神聖な食べ物として摂取されてきたことが分かります。しかも生命エネルギーは現代科学の折り紙付きときた日には、健康維持のために食べない手はありませんね。

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