【2019年4月1日 今日の富士山】

今日から新年度!週始めでもありますね。
とっても綺麗な青空です☆
富士山も綺麗に見ることができました。
まだまだ朝晩に冷え込むので雪は積もったままですね。
そして…新元号が発表されました!
「令和」だそうですね!
なんだかなじむのに時間がかかりそうな…^^;
今回の新元号『令和』は、『万葉集』にある「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ(初春令月、氣淑風和)」に由来するもの。
新元号の制定に関する法的基準はないものの、「漢字2文字」「これまでに元号やおくり名で用いられていない」「俗用されていない」といった基準で選ばれてたそうです。
まだ今月は平成なので残りの日々を大事に過ごしていきましょう!
さてそんな今日は“元号”についてかいていきます。
天皇の在位中、元号が変更できないという現在の「一世一元」制度がスタートしたのは明治以降のことで、それ以前、元号はころころ変わっていました。
そもそも日本の元号制度が始まったのは飛鳥時代の「大化(645~650年)」から。
以降、天皇が90代になるのに対して、元号は247も存在することからも改元がいかに頻繁に行われたことがうかがえます。
中には一代の天皇で、8つの元号が使われたという記録もあります。
「元号制度」が始まって以来、平均するとこれまでに元号は何年に一度変更されたことになるでしょうか?
正解はなんと5年に一度です。超短期スパンで元号が変わったことになるのです。
中でも驚くのが、歴代の最短記録です。
最も短かった元号は、暦仁(りゃくにん)でなんと74日間。
わずか2ヶ月と14日。ちなみに鎌倉時代に存在した元号です。
改元の理由は、公文書には天災と記されているようですが、公家の日記などを編集した『百錬抄(ひゃくれんしょう)』という歴史書によると「暦仁」という漢字が「略人」、つまり「人が略されていなくなってしまう」ことを連想させて不吉であるという風評が広がり改元されたとの記述もあるようです。
元号を変える理由として最も多かったのが天災などの大きな災い。
ただ、中には「え、こんなことで?」というような残念な理由で元号が変わったこともあります。
その一つが珍しい生き物の発見。
奈良時代、甲羅に「北斗七星」の模様がある珍しいスッポンが天皇に献上されました。
すると「これは天から授かった吉兆である」と喜ばれた天皇は、元号を「霊亀」に改めたといいます。
1200年以上の歴史を誇る奈良・東大寺。
その傍らに佇む正倉院には、その時献上されたスッポンをモデルにした石像が今でも保存されています。
ちなみに奈良時代には、なんと4回も「珍しい亀」をきっかけに元号が変更されていたというから驚きです。
当時、亀がどれだけ縁起物だったかがうかがえますね。
また、奈良時代には“美肌効果”が改元のきっかけになった例もあります。
そこは、岐阜県「養老の滝」の一角に湧き出る「菊水霊泉」という泉。
ある日、美貌の女帝と呼ばれた第44代「元正」天皇がその地を訪れて、湧き水を飲んだところ美肌になったと代絶賛。
感動のあまり、その地にちなんで「養老」に改元したといいます。
ほかにも縁起の良い雲の出現で「慶雲」という元号にしたりしています。
意外な改元の理由の他、意外な「元号」の決め方も過去にはありました。
それが、「明治」。
慶応四年(明治元年)9月、宮中賢所(かしどころ)において、いくつかの元号候補の中から、明治天皇御自ら、くじを引いて御選出されました。
とはいえ、『くじ引き』って現代のようにカジュアルなものではなく、当時は神の意思を問うための重大な神事というイメージが強かったわけで、想像よりずっと厳粛な作業だったようです。
歴史を振り返ると、漢字二文字のガイドラインができる前、奈良時代には四文字の元号が存在しています。
・天平感宝・天平勝宝・天平宝字・天平神護・神護景雲の5つです。
さてそもそも元号制度発祥の地は中国であり、紀元前に誕生しました。
以降ベトナムや朝鮮半島などでも元号を取り入れた時期がありましたが、現在元号制度を採用している国は日本のみになります。
「昭和っぽさ」や「平成っぽさ」という時代の空気を一括りにしてアーカイブ「あの頃はああだったよね」と懐かしみ、振り返ることができるのも元号のおかげ。
次の元号『令和』は私たちをどんな世界に導いてくれるのか楽しみですね。

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