おはようございます!今日の富士山も雪で真っ白です^^
今週はずっと真っ白白な富士山。来週はどうなっているのでしょうか?
このところこの寒さに加えて季節風が吹き荒れているので、よりいっそう寒く感じられます。
金曜日の今日、仕事終わりに出かける方はしっかり着込んでお出かけください。
寒さのピークは今日明日までだそうですがまだまだ寒いので、週末のおでかけも万全の寒さ対策は必須となりそうです!
さて今日は“お札の顔になった偉人にまつわる話”という記事についてかいていきます。
私達が毎日のように使うものの1つといえば、お金です。日本で流通しているお金のうち、1万円、5千円、千円札には、それぞれ著名な人物の顔が印刷されています。
「実在で知名度が高く、国民から尊敬されている人物」などの厳しい条件をクリアして「お札の顔」に選ばれた人たちは、日本人なら誰もが知る偉人ばかりです。
ところが彼らには、そのスケールの大きさを象徴するようなエピソードも残されているのです。
■福沢諭吉
『学問のすゝめ』の著者にして、慶応義塾大学の創設者でもある福沢諭吉。日本の近代的思想を支えたと言われる彼には、近代的な合理主義を「身体を張って」証明した逸話が残されています。
福沢諭吉が11歳~12歳の頃、彼が家の中を歩いていて中津藩主の名前を書いた紙を踏んだことを、彼の兄にとがめられました。
「諭吉!藩の殿様のお名前を足で踏みつけるとは、お前はどういうつもりだ!?」
諭吉少年は、その場は兄に謝りましたが、「殿様の頭を踏んだならまだしも、名前を書いた書き損じの紙を踏んだだけで何がそんなに問題なのか?」と、非常に不満と疑問を持ちました。
疑問を解決するために、「殿様の名前を書いてある紙を踏むとまずいなら、神様の名前が書いてある神社のお札を踏んだらどうなるのか?」という「実験」を極秘で行ったことが、彼の自伝『福翁自伝』に詳細に描かれています。
それによると、諭吉少年がお札を踏んでも特に変わったことは何も起こらなかったそう。そこで「ウムなんともない、コリャおもしろい、こんどはこれを洗手場※に持って行ってやろう」と考えた諭吉少年はお札をトイレに持っていき、こともあろうにお尻を拭いてしまいました。※洗手場(ちょうずば。トイレのこと)
さすがにこれは神様のバチが当たるのでは?と心配した諭吉少年でしたが、これまた特に何も起こりません。
「ソリャ見たことか。兄さんがよけいな、あんなことを言わんでもよいのじゃ」とドヤ顔をした諭吉少年。しかしこの話は、家族の誰かに言えば叱られると思い、誰にも言えなかったのだとか。
■野口英世
偉大な医師・細菌学者でありながら、坪内逍遥の小説に登場する人物と名前や立場・行動までもが似ているのが気になり、策を練って「野口清作」から改名した野口英世。
彼には改名だけでなく、こんなエピソードも残されています。Gusutav Eckstein(グスタフ・エクスタイン)という人によって書かれた『Noguchi』には、自身を讃えた伝記『発見王野口英世』を読んだ野口英世が怒り、こう発言したという記述があります。
「あれは悪い本だ。人間は誰だってあの本のように完全ではない。また、誰もあの本のように完全でありたいとは思わぬ。あれは人間ではない。人生はあんなに真っ直ぐにはゆかない。人生というものには浮き沈みがある。浮き沈みがないのは作り話だけだ。」
野口英世は、確かにその地位を築くまでにものすごい努力をしましたが、留学資金を芸者遊びで1晩で使い果たしてしまうなど、とんでもない事もたくさんしていたのでした。それらを全てなかったことにして、自分を「ただひたすら素晴らしい人」とは考えないで欲しい!完璧な人間などいないのだ!という思いがあったようです。
この他にも、旧5千円札の顔・新渡戸稲造には、「東大の講義は思ったより大したことなかった」とけなす手紙を親友に送った挙げ句、中退したエピソードが残されています。
さすがは偉人たち、やはりみんなスケールが違っていたのですね!
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